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行政院文化建設委員会 第六回文馨賞

特別賞、金賞受賞者・林宗毅博士のごあいさつ

而立」(三十にして立つ)と言われる30歳から、私は中国絵画の蒐集を始めました。私の年代は伝統的な名画に触れる機会は多くなく、蒐集は近代および現代絵画が中心でしたが、明代や清代の名画に出会うと喜び一入でした。台湾大学卒業から3年後に私は日本の東京大学で英文学を2年間研究し、その後も引き続き日本で日本文学(古典『万葉集』)、中国史(清代)、中国文学の研究に没頭しました。愛読したのは『杜甫詩集』や吉川幸次郎の著書などでしたが、京都大学元教授の内藤湖南著『中国絵画史』や神田喜一郎先生の『中国書道史』、大学院の先輩である長尾雨山著『中国書画話』など、また世界的に有名な歴史学者の宮崎市定先生の全集も拝読しました。宮崎教授の専門は宋代史でしたが、清代の『雍正伝記』も執筆されていました。私はこうして研究を重ねながら、神田の本屋、神保町の古本屋などにも足を運び、数々の絵画を購入してきました。そしてそれは半世紀を経て、80歳の時点で収集した中国絵画は約1000点に上りました。

その間200点余りのコレクションを数回に渡って、国立故宮博物院に寄贈しました。明代、清代、近代の絵画がほとんどでしたが、中でも最も誇りとするのは南宋の理学家・朱熹が書いた『易繋辞』巻です。これは私が50代の時、運よく東京の美術クラブで購入したものです。朱子は「四書」等を研究し、『四書集注』を著した理学、哲学の大家で、朱子の全集では書道に関する文章も多く収録されており、その書法は現在も広く伝えられています。しかし、そのほとんどが手紙や詩の原稿など小さな作品で、『易繋辞』のような大筆の素晴らしい作品はとても珍しいものです。『清代乾隆収蔵(石渠宝笈初編)』によると本作品は由緒ある貴重な国宝で、道光の時に恭親王奕訴が皇帝から賜り、1913年に羅振玉が日本へ運び、三菱の岩崎家に売却したものです。私が入手後すぐに故宮博物院に寄贈したことで、故宮の重要なコレクションはようやく元の場所に戻ったということになります。これは故宮博物院の米国特別展、ドイツ「天子の宝」特別展へも出品しました。今回は故宮博物院および元駐日代表の林金茎博士のご推薦をいただき、本賞を頂戴し、心より感謝申し上げる次第でございます。

林宗毅博士の字(あざな)は志超、1923年に台湾・板橋の林本源の家に生まれた。幼い頃から書物に親しみ、台湾大学外国語学部を卒業すると東京大学大学院に留学し、英文学を専攻。中国、英国、日本文学に造型が深く、30歳から書画の蒐集に力を注ぎ、日本や中華圏における著名な書画コレクターとなった。

長年日本で生活しながらも台湾のことを常に心に留める氏は、コレクションに「定静堂」、「汲古書屋」、「来青閣」と所蔵印を押印している。これらは全て台湾・板橋の生家、林家の建築物からとった名称である。珍蔵書画を公的機関に寄贈するなど、故宮博物院の最高寄贈者として芸術界でも大変な敬意が払われる人物である。

2002年4月故宮博物院のコレクション寄贈感謝式典で、氏は自身の心境について娘の林愛玲に『旧約全書』『伝道書』を引用し代読させている。「万事には時が定められている。全てのものに定められた時である。生まれる時、死ぬ時、種を蒔く時、収穫する時、蒔いたものを収穫する時」。氏が数回に渡り「蒔いた種を収穫し」、公に寄贈する姿勢はコレクターという域を超えた、宗教的な慎み深さと情熱をもった芸術への偉大なる貢献である。

「財団法人林宗毅博士文化教育基金」は日本で暮らしながらも故郷を忘れず、わが国の伝統文化の向上に尽力し芸術の発展に情熱を注ぐ林宗毅博士の志を受け、コレクション全集を編集し、後続世代に伝承しようという目的で設立されたものである。

本基金は中華文化の継承と普及のために、林宗毅博士が1999年に自ら出資し、台湾・教育部の認可を経て設立されたものである。

本基金は学術研究の奨励、人材の育成、中華文化の普及に関する公益事業を主旨とし、関連法令に基づき、次の各号の業務を行う。

  • 重要な教育・学術論文、著作の出版への助成。
  • 成績優秀な学生への奨学金の給付。
  • 学術講座の設立あるいは助成。
  • 台湾の芸術作品の保存および普及。
  • 大学図書館への図書の寄贈。
  • 本基金の設立主旨に合致するその他の教育公益事業。